11/16/2005



もりぞうだ。久しぶりだな。
なんだかどこかの似たようなやつは森に帰ってしまったらしいが、俺はWebに帰ってきたぞ。俺が居ない間にもカウンターを回してくださった皆様に感謝だ。

しかし、ずいぶんと久しぶりの更新になってしまったな。tanukiの奴が忙しかったというのもあるが、どうも奴、俺様をオハイオに忘れてきたらしいぞ。オフィスにあった最後の貴重品の箱をそのまま忘れたらしい。どうしようもない奴だな。

さてと、tanukiの事は忘れて話を戻そうか。久しぶりになってしまったので軽くおさらいをすると、1840年代に起こったアイルランド飢饉の原因は天候不順とそれに伴って蔓延ったジャガイモの病気だということだ。そして当時の科学者がカビがその病気の原因であるという画期的な発明をしたというところまで書いたと思う。

しかし、人口が半分になるほどの大飢饉が起こった原因はそれだけだったのだろうか。今回は視点をちと変えて、当時の社会的な情勢をかんがみてみようと思う。当時のアイルランドはイギリスに占領されており、クロムウェルの政策により、占領時の報酬として地主となった将校たちが高い税金(小麦)を小作人となったアイルランドの人々から搾取をしていたころだ。

アイルランドの人々は土地に小麦を植え、それを税金として差し出し、自分たちの食い扶持はジャガイモで賄っていたと言うわけだ。ジャガイモの栄養価とその生産性により、厳しい境遇ながら人口が爆発的に伸びた事は以前もお話したな。

そして1845年からのジャガイモの不作が始まると、人々は食べるものがなくなり、三年間続いた飢饉の中で多くの人が亡くなっていった。皮肉なのはその間小麦は豊作だったらしいということだ。しかし、税金を支払わなくてはいけないアイルランドの人たちは食べ物を口にすることができない。ま、あれだ、それだけ搾取がひどかったということだな。

(ロバート・ピールの肖像画
下のWikipediaのリンクからのものだ)

その間イギリスは何をしていたかというと、保守党のロバート・ピール首相が長年国内の地主たちを保護する目的で施行されていた輸入規制「穀物法」を排除し、さらにアメリカから大量のコーンを輸入することで、情勢を立て直そうとした。ちなみにピール首相はちょっと前の選挙でもてはやされた「マニュフェスト」の生みの親と言われているらしい。

しかし輸入されたコーンは人々には行き渡らず、(穀物法の排除で利権を失った地主たちが搾取したのだろうな。地主たちの反対は強まってピール内閣は政権を失い、ピール自身も1850年に乗馬時の事故で亡くなってしまう。踏んだり蹴ったりとはこのことだな。)150万人あまりのアイルランド人がアメリカへと移住することになる。ニュー・ヨークにアイルランド系の警官が多いのはジャガイモ飢饉のためだといわれるのは有名な話だ。

参考資料
Large, E. C. (2003 [reprint: original date of publication is 1940]) "The advantage of the Fungi", APS Press, St.Paul, MN